最近デュエリストジャパンをやたら読み返してるんですけど、やっぱこの雑誌はまじ(・∀・)ゴッコ!ですね。
また復活しないかなー(*´∇`*)
んで前々から書こう書こうと思ってた自分のマジックのちょっとした歴史を書いてみようと思いました。
デュエリストジャパン読んでるといつも懐かしくなりますよね。
決してネタ埋めとかじゃないですよw
他の人が前書いてておもしろかったのでいつか書いてやろうか、と思ってたんですけど気付いたら全然書いてませんでした。
オナニー日記になっちゃうかもしれないのでこんなティムポマシーンの歴史なんぞ読み飛ばしていただいてかまいませんので。
〜中2〜
初めてマジックに会ったのは中2ん時でした。
近くのショップではまだ4thとかヴィジョンズとか売ってました。
学校の友達がもともとやってたらしくておれらの周りでちょっとしたブームになりました。
たしか遊戯王でミラージュのプレゼントとかやってたからそれも影響してたのかも。
なので最初おれが一番欲しかったカードは《奈落の王》でした。
デーモンに(;´Д`)ハァハァしてました。
そんで塾早めに行って教室でやってたり臨海学校とかでも持って行ってやってました。
臨海学校では他のクラスのパンピーが持ってきてはいけないものを見事に先生に見つかっちゃって強制ガサ入れが。
でもなぜかおれの隣りの布団だった優ってやつが畳みはがせることがわかってその下にさらに物が隠せるようになっててみんなでカードを詰め込んだ覚えがあります。
たぶん他の学校のやつらが作ってくれたんでしょう。
会ったことのない中学生同士のナイスコンビプレーに感動しました。
はじめの方遊んでたルールだと初手に来たランドを全て場に出せるという舐めたルールだったのでよくわからんゲームになってました。
その後に発売したポータルを買って驚愕して友達と苦笑いしながら1ターン目からせこせこと土地を置くことを学びました。
中2のあたりではまだまだ部活やら塾でカジュアルプレイにいそしんでました。
〜中3〜
中3のクラス替えでなぜか同じ学年でマジックやってるやつの9割が同じクラスになってみんなで万々歳してました。
その頃他のクラスで元々友達だった井口がマジックの経験者というのを知ります。
ちゃんと公式戦にも出ててDCIのナンバーが7桁でした。
当時はおれはDCIのナンバーなど持ってなかったので(´・∀・`)ヘーって感じでしたけど今思うとけっこう古株ですね。
中3にもなるとデュエリストジャパンを買い始めたおかげでちょっとだけトーナメント志向のデッキを作りはじめます。
その頃から書いてるデッキノートも未だに続けてて、おれが構築のトーナメント出る時はいつも持ってきます。
といっても中3のガックスの作れるデッキと言ったら黒単とか赤単とかです。
たしかおれは黒単ウィニーを使ってました。
それでも赤単バーンに勝てちゃったりしてる時点でしょせんガックスです。
ちなみにガックスってのはガキの複数系でうちらの周りでは使ってました。
使用例;
「このガックスがッッッ!!」
中3の修学旅行で京都行った時も真っ先に行ったのがマジックのショップだったのが今思うと(*´∇`*)あははって感じです。
なんとなく購入したストロングホールドのパックから《呪われたクロウヴァクス/Crovax the Cursed(ST)》が出て京都に来たかいがあったなーなどと勃起した記憶があります。
そして中3の頃に同級生のうちが趣味でプラモ屋を開店しました。
うちらはそのコネでマジックを入荷してもらって、デュエルスペースも作ってもらいました。
つっても4席くらいですけど。
その名もナカジマ。いや、そこんちが中島さんちだったからなんだけど。
中3の夏に部活も引退して受験モードだ!と見せかけて毎日学校帰りにナカジマに突撃してシコシコとマジックしてました。
でも秋くらいになると前日記にも書いた知美と付き合ってて毎日一緒に帰って人気のないとこでペティったりしてたのであんましマジックしてなかったかもしれません。
もうこの時期になるとマジックやってた友達も少なくなっておれ入れて4、5人程度。
その中でもクラークってやつがいつも一緒にマジックをたしなんでました。
なんでクラークかっていうと苗字がKoFのクラークに似てたからです。
そんでそこそこ勉強もしつつナカジマでマジックしてると知らないマジックプレイヤーも来始めて、その中で糸井さんと出会いました。
糸井さんっていうのは兄弟でマジックしてて兄はカジュアルプレイヤーで主に弟の方がトーナメントプレイヤーでした。
もう一人河野さんって人も加わってよく3人でナカジマに来てておれらはきっと強い人なんだろうなーって思ってました。
意を決してトレードを申し込むと糸井さんのファイルからは《呪われた巻物/Cursed Scroll(TE)》が9枚くらいあって死に掛けた覚えがあります。
もちろん仲間うちで巻物持ってるやつは1人いたくらいで、枚数も1枚でした。
そんなこんなでデッキを見てもらったりいろいろお世話してもらいました。
さすがに冬くらいにもなると受験モードになって勉強をコスコスやってました。
その頃は主に勉強と恋愛でした。
亜矢子と毎日放課後は一緒に勉強→塾のコンボが延々と続いてたのでマジックはあんまししてませんでした。
でも丁度受験期の2月に学校終わって意気揚々とクラークとレガシー買いに行ったおれのことは嫌いじゃありません。
んでなんとか第一志望の地元の一番の進学校に滑り込めたため親との約束だった死ぬほどマジックしていい券を(σ・∀・)σゲッツ!!
それから春休みの間はクラークんちで毎日マジックしてました。
セットランドするたび「気持っちィィィ!超気持っちィィィィィィィ!!」と今思えば流行語大賞を先取りするであろう発言を連呼してました。
〜高1〜
同じ高校入った同中の友達は5人。
んで新たに5人程マジックやってるやつらを発見できました。
同中の仁志と同じクラスになって、初めの自己紹介で二人して「趣味はマジックですっっっ!!」と100万ドルの笑顔でアピったおかげでおれらはマジシャンと周りからは認識されたようです。
休み時間ににやにや近づいて来た怪しげな男が「マジックやってるん??」と聞いて来て、そいつが後々に一緒にトーナメント出る友達となった男、その名も社長です。
見た目が社長っぽいのでそれ以外にあだ名は付けられません。
ところで他の高校行ったやつらはというとクラークと井口は近くにマナソースがある高校に行ったため毎日のように通いつめたらしくおれらはティムポを握りながらうらやましがることしかできませんでした。
休みの日はみんなナカジマに集まってマジックしてました。
ちなみにおれは某運動部に入ってましたが、土日がつぶれるという舐めた理由で5月くらいに辞めました。
そんで丁度その頃ナカジマでマジックしてると糸井さんたちが来て「日本選手権行ってきたよー」って言っててすげぇ!って思いました。
順位はたしか10位くらいだった気がします。
最後フジケンさんに切られて惜しくもその順位だったそうな。
前からですけど、そのころから糸井さんのことを師匠とあがめて一緒に調整とかさせてもらってました。
〜続く〜
また復活しないかなー(*´∇`*)
んで前々から書こう書こうと思ってた自分のマジックのちょっとした歴史を書いてみようと思いました。
デュエリストジャパン読んでるといつも懐かしくなりますよね。
他の人が前書いてておもしろかったのでいつか書いてやろうか、と思ってたんですけど気付いたら全然書いてませんでした。
オナニー日記になっちゃうかもしれないのでこんなティムポマシーンの歴史なんぞ読み飛ばしていただいてかまいませんので。
〜中2〜
初めてマジックに会ったのは中2ん時でした。
近くのショップではまだ4thとかヴィジョンズとか売ってました。
学校の友達がもともとやってたらしくておれらの周りでちょっとしたブームになりました。
たしか遊戯王でミラージュのプレゼントとかやってたからそれも影響してたのかも。
なので最初おれが一番欲しかったカードは《奈落の王》でした。
デーモンに(;´Д`)ハァハァしてました。
そんで塾早めに行って教室でやってたり臨海学校とかでも持って行ってやってました。
臨海学校では他のクラスのパンピーが持ってきてはいけないものを見事に先生に見つかっちゃって強制ガサ入れが。
でもなぜかおれの隣りの布団だった優ってやつが畳みはがせることがわかってその下にさらに物が隠せるようになっててみんなでカードを詰め込んだ覚えがあります。
たぶん他の学校のやつらが作ってくれたんでしょう。
会ったことのない中学生同士のナイスコンビプレーに感動しました。
はじめの方遊んでたルールだと初手に来たランドを全て場に出せるという舐めたルールだったのでよくわからんゲームになってました。
その後に発売したポータルを買って驚愕して友達と苦笑いしながら1ターン目からせこせこと土地を置くことを学びました。
中2のあたりではまだまだ部活やら塾でカジュアルプレイにいそしんでました。
〜中3〜
中3のクラス替えでなぜか同じ学年でマジックやってるやつの9割が同じクラスになってみんなで万々歳してました。
その頃他のクラスで元々友達だった井口がマジックの経験者というのを知ります。
ちゃんと公式戦にも出ててDCIのナンバーが7桁でした。
当時はおれはDCIのナンバーなど持ってなかったので(´・∀・`)ヘーって感じでしたけど今思うとけっこう古株ですね。
中3にもなるとデュエリストジャパンを買い始めたおかげでちょっとだけトーナメント志向のデッキを作りはじめます。
その頃から書いてるデッキノートも未だに続けてて、おれが構築のトーナメント出る時はいつも持ってきます。
といっても中3のガックスの作れるデッキと言ったら黒単とか赤単とかです。
たしかおれは黒単ウィニーを使ってました。
それでも赤単バーンに勝てちゃったりしてる時点でしょせんガックスです。
ちなみにガックスってのはガキの複数系でうちらの周りでは使ってました。
使用例;
「このガックスがッッッ!!」
中3の修学旅行で京都行った時も真っ先に行ったのがマジックのショップだったのが今思うと(*´∇`*)あははって感じです。
なんとなく購入したストロングホールドのパックから《呪われたクロウヴァクス/Crovax the Cursed(ST)》が出て京都に来たかいがあったなーなどと勃起した記憶があります。
そして中3の頃に同級生のうちが趣味でプラモ屋を開店しました。
うちらはそのコネでマジックを入荷してもらって、デュエルスペースも作ってもらいました。
つっても4席くらいですけど。
その名もナカジマ。いや、そこんちが中島さんちだったからなんだけど。
中3の夏に部活も引退して受験モードだ!と見せかけて毎日学校帰りにナカジマに突撃してシコシコとマジックしてました。
でも秋くらいになると前日記にも書いた知美と付き合ってて毎日一緒に帰って人気のないとこでペティったりしてたのであんましマジックしてなかったかもしれません。
もうこの時期になるとマジックやってた友達も少なくなっておれ入れて4、5人程度。
その中でもクラークってやつがいつも一緒にマジックをたしなんでました。
なんでクラークかっていうと苗字がKoFのクラークに似てたからです。
そんでそこそこ勉強もしつつナカジマでマジックしてると知らないマジックプレイヤーも来始めて、その中で糸井さんと出会いました。
糸井さんっていうのは兄弟でマジックしてて兄はカジュアルプレイヤーで主に弟の方がトーナメントプレイヤーでした。
もう一人河野さんって人も加わってよく3人でナカジマに来てておれらはきっと強い人なんだろうなーって思ってました。
意を決してトレードを申し込むと糸井さんのファイルからは《呪われた巻物/Cursed Scroll(TE)》が9枚くらいあって死に掛けた覚えがあります。
もちろん仲間うちで巻物持ってるやつは1人いたくらいで、枚数も1枚でした。
そんなこんなでデッキを見てもらったりいろいろお世話してもらいました。
さすがに冬くらいにもなると受験モードになって勉強をコスコスやってました。
その頃は主に勉強と恋愛でした。
亜矢子と毎日放課後は一緒に勉強→塾のコンボが延々と続いてたのでマジックはあんまししてませんでした。
でも丁度受験期の2月に学校終わって意気揚々とクラークとレガシー買いに行ったおれのことは嫌いじゃありません。
んでなんとか第一志望の地元の一番の進学校に滑り込めたため親との約束だった死ぬほどマジックしていい券を(σ・∀・)σゲッツ!!
それから春休みの間はクラークんちで毎日マジックしてました。
セットランドするたび「気持っちィィィ!超気持っちィィィィィィィ!!」と今思えば流行語大賞を先取りするであろう発言を連呼してました。
〜高1〜
同じ高校入った同中の友達は5人。
んで新たに5人程マジックやってるやつらを発見できました。
同中の仁志と同じクラスになって、初めの自己紹介で二人して「趣味はマジックですっっっ!!」と100万ドルの笑顔でアピったおかげでおれらはマジシャンと周りからは認識されたようです。
休み時間ににやにや近づいて来た怪しげな男が「マジックやってるん??」と聞いて来て、そいつが後々に一緒にトーナメント出る友達となった男、その名も社長です。
見た目が社長っぽいのでそれ以外にあだ名は付けられません。
ところで他の高校行ったやつらはというとクラークと井口は近くにマナソースがある高校に行ったため毎日のように通いつめたらしくおれらはティムポを握りながらうらやましがることしかできませんでした。
休みの日はみんなナカジマに集まってマジックしてました。
ちなみにおれは某運動部に入ってましたが、土日がつぶれるという舐めた理由で5月くらいに辞めました。
そんで丁度その頃ナカジマでマジックしてると糸井さんたちが来て「日本選手権行ってきたよー」って言っててすげぇ!って思いました。
順位はたしか10位くらいだった気がします。
最後フジケンさんに切られて惜しくもその順位だったそうな。
前からですけど、そのころから糸井さんのことを師匠とあがめて一緒に調整とかさせてもらってました。
〜続く〜
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