続きです。
糸井さんの話の続きですが、デュエリストジャパンVol.8をお持ちの方は24Pの『果てしなき可能性〜99年日本選手権観戦記〜』を御覧下さい。
下の写真のNACさんの左に座ってるのが糸井さんです。
ちなみに右上の能西さんの解説がしてあるんですけど、一緒に載ってる写真は糸井さんですw
このことを糸井さんに言うと怒るのでおもしろくてこのネタでたまにいじってました。
そんなこんなで初の公認トーナメントにクラークと行くことになりました。
当時はFB高崎店が一番栄えてた(DCI公認で)のでドキドキしながらFBへ行きました。
そして驚愕の事実を知ることになります。
丁度その時にデスティニーが出たばっかしで、おれが持ってったデッキが《アカデミーの研究者/Academy Researchers(UZ)》やら《玉虫色のドレイク/Iridescent Drake(UD)》やらに各種抱擁をくっ付けてぶん殴る青単ビートダウンだったんですけどw
当時発売してすぐ使っちゃいけないルールなんて知らなかったのでジャッジに「組みなおしてね☆」と軽くあしらわれました。
仕方ないので持ってきた予備カードをあさって謎に《ゼフィド/Zephid(UZ)》などをぶち込んだ記憶があります。
結果は2−3でぐちゃデッキのわりにはまあまあだったと思いました。
初めて公認トーナメントに出てから、おれはまるで思春期のオナニー少年のようにデッキ調整に勤しみました。
部活を辞めて時間もある程度自由だったため学校帰りに近くのわんぱくこぞう行ったりしてマジックマジックしてました。
ちなみにそこの店は速攻でつぶれました。
そんで次に出た時が赤単頑張れ《バルデュヴィアの大軍/Balduvian Horde(6E)》デッキで3−2。
その頃に黒田さん、狩野さん、織田さんと知り合って大会のたびに遊んでました。
黒田さんはまじでネプチューンの泰造に似てます。黒大好きです。
狩野さんはスーパーエロゲ大将でよくエロゲーを譲ってもらえました。
織田さんは生粋のエンチャントレス好きないいお兄さんでした。
みなさんお元気ですか?(*´∇`*)
その次のトーナメントあたりからコンスタントに4−1を繰り返すようになります。
初めて4−1の2位に滑り込んだ時はマスクスが出てレベルが登場してるのにレベルを使わない白うにーでした。
糸井さんと調整してて糸井さんはその頃からレベルだったんですけど、おれはわが道を行ってました。
8クルセイドで《恭しきマントラ/Reverent Mantra(MM)》とか《ハルマゲドン/Armageddon(6E)》撃ってれば勝てましたし。
そんで初めての大きい大会っつか予選だけど、1999年のFinals予選です。
その頃は関東5次くらいまであってどの日に出るかピヨピヨしてました。
糸井さんは初日に出場してきっちり白うにーで6−1突破してました。
おれはたしか2次あたりだった気がする。
河野さんとおれと伊藤(同中のやつ。陸上部でかおがトム・ヴァン・デ・ドロに似てる)で行きました。
ちなみに伊藤は葉書送り忘れて出れないのに見学ということで一緒についてきただけです。
もともと調整してたのは白うにーですけど、メタ的に生物殺してーって思って黒コンを持ち込みました。
結果はたしか2−2Dropだったっけな?
河野さんはピットサイクル持ち込んでたんですけど、おれが見てるデュエルでピヨピヨしてるのを見てちょっとだけ失望したのを覚えてます。
そこで初めて世界は広いなーと思いました。
気付くの遅すぎますけど、群馬の当時のコミュニティーではこんなもんだと思います。
〜高2〜
FBも店の新装開店なんだか理由はわかりませんけど場所が変わりました。
でも大会は相変わらずだったので月に1回の月例トーナメントを目標に日々デッキ調整してました。
その頃から会うようになったのが今井さんです。
彼は生粋の青使いで普通に構築戦では負けるのはほぼ見たことがないくらいでした。
彼の伝説としては後に行われる岡田さんが優勝の2001年のLoMの最終戦(だった気がする)で《選択/Opt(IN)》打って自分のライブラリー破壊して負けたり、さらに同じことをCCCでもやったらしくて凝りねーなぁ、って感じでした。
その時のLoMでベスト8残った手塚さんと坂本さんもたしかその頃知り合って、手塚さんはよくFBの大会で当たったりして、坂本さんは謎に家が近かったらしくてナカジマにちょくちょく来てました。
正直その当時は群馬のマジックは今井さんが中心だった気がします。
ホントに彼には勝ったのは数え切れるくらいだったし。
今まではFBくらいしか大会なかったんですけど、アドリビダムっていうサークルの大会があって、そこには60人オーバーの人数が集まるらしいって噂聞きました。
ちなみにそれを聞いたのはFBの大会の当日で、しかもアドリビの大会もモロ被りしてたので行きませんでした。
そのことを教えてくれたシンヤは白茶単でその日2位だったらしくてグッジョブ(*^ー゜)bでした。
シンヤも今井さんとかと同じコミュニティーでたびたび行くようになりました。
今ではもうデュエルスペースも撤去されちゃったらしいですけど、TOYっていう店です。
おれがこないだ実家帰って停電したゲーセンの隣りにあるゲーム屋の中にスペースがあって、そこで学校帰りにたびたび調整しに行きました。
そこにいたえーちゃんが去年の群馬チャンプです。
まだマジックやってたんだーと思ってうれしかったのを覚えてます。
そんでこの年の冬のFinals2000。
TOY勢で予選行きました。
デッキはFires。
当時このデッキでブンブンしてて、初めて出たアドリビの大会でも決勝で天敵のレベル潰して優勝するくらい引きが若かったです。
そして「勝ちたいんや!」がカラ回って死去。
その時に今井さんはちゃっかり青白で予選抜けてました。
メインの生物が《希望の化身/Avatar of Hope(PR)》のみのヘビーパーミッションでした。
これがかなりよくできてて今でも抜けたのはうなずけます。
たぶんデッキの中身は前に発売されてたFinals2000のデッキ集に載ってると思うので持ってる人は見てみてください。
丁度その時期はエクテンシーズンでおれはリプレ使ってました。
FBの大会でも使ってて今井さんが使ってたエターナルブルーにかなりせこい手を使われて負けました。
ちなみに今やったら即DQでしょう。
まあいい思い出ですわ( ゜д゜)、ペッ
ちなみに今井さんはエターナルブルーをFinals本戦に持ち込んで見事なくらい討ち死にしてました。
でも2日目のスタンはきっちり5−1してるあたりが強かったなぁ、と思います。
丁度その時期にgungと井上さんと出会います。
これが後々のマジック人生に大きく関わってくるとは思いもしなかったれっづでした。
〜つづく〜
糸井さんの話の続きですが、デュエリストジャパンVol.8をお持ちの方は24Pの『果てしなき可能性〜99年日本選手権観戦記〜』を御覧下さい。
下の写真のNACさんの左に座ってるのが糸井さんです。
ちなみに右上の能西さんの解説がしてあるんですけど、一緒に載ってる写真は糸井さんですw
このことを糸井さんに言うと怒るのでおもしろくてこのネタでたまにいじってました。
そんなこんなで初の公認トーナメントにクラークと行くことになりました。
当時はFB高崎店が一番栄えてた(DCI公認で)のでドキドキしながらFBへ行きました。
そして驚愕の事実を知ることになります。
丁度その時にデスティニーが出たばっかしで、おれが持ってったデッキが《アカデミーの研究者/Academy Researchers(UZ)》やら《玉虫色のドレイク/Iridescent Drake(UD)》やらに各種抱擁をくっ付けてぶん殴る青単ビートダウンだったんですけどw
当時発売してすぐ使っちゃいけないルールなんて知らなかったのでジャッジに「組みなおしてね☆」と軽くあしらわれました。
仕方ないので持ってきた予備カードをあさって謎に《ゼフィド/Zephid(UZ)》などをぶち込んだ記憶があります。
結果は2−3でぐちゃデッキのわりにはまあまあだったと思いました。
初めて公認トーナメントに出てから、おれはまるで思春期のオナニー少年のようにデッキ調整に勤しみました。
部活を辞めて時間もある程度自由だったため学校帰りに近くのわんぱくこぞう行ったりしてマジックマジックしてました。
ちなみにそこの店は速攻でつぶれました。
そんで次に出た時が赤単頑張れ《バルデュヴィアの大軍/Balduvian Horde(6E)》デッキで3−2。
その頃に黒田さん、狩野さん、織田さんと知り合って大会のたびに遊んでました。
黒田さんはまじでネプチューンの泰造に似てます。黒大好きです。
狩野さんはスーパーエロゲ大将でよくエロゲーを譲ってもらえました。
織田さんは生粋のエンチャントレス好きないいお兄さんでした。
みなさんお元気ですか?(*´∇`*)
その次のトーナメントあたりからコンスタントに4−1を繰り返すようになります。
初めて4−1の2位に滑り込んだ時はマスクスが出てレベルが登場してるのにレベルを使わない白うにーでした。
糸井さんと調整してて糸井さんはその頃からレベルだったんですけど、おれはわが道を行ってました。
8クルセイドで《恭しきマントラ/Reverent Mantra(MM)》とか《ハルマゲドン/Armageddon(6E)》撃ってれば勝てましたし。
そんで初めての大きい大会っつか予選だけど、1999年のFinals予選です。
その頃は関東5次くらいまであってどの日に出るかピヨピヨしてました。
糸井さんは初日に出場してきっちり白うにーで6−1突破してました。
おれはたしか2次あたりだった気がする。
河野さんとおれと伊藤(同中のやつ。陸上部でかおがトム・ヴァン・デ・ドロに似てる)で行きました。
ちなみに伊藤は葉書送り忘れて出れないのに見学ということで一緒についてきただけです。
もともと調整してたのは白うにーですけど、メタ的に生物殺してーって思って黒コンを持ち込みました。
結果はたしか2−2Dropだったっけな?
河野さんはピットサイクル持ち込んでたんですけど、おれが見てるデュエルでピヨピヨしてるのを見てちょっとだけ失望したのを覚えてます。
そこで初めて世界は広いなーと思いました。
気付くの遅すぎますけど、群馬の当時のコミュニティーではこんなもんだと思います。
〜高2〜
FBも店の新装開店なんだか理由はわかりませんけど場所が変わりました。
でも大会は相変わらずだったので月に1回の月例トーナメントを目標に日々デッキ調整してました。
その頃から会うようになったのが今井さんです。
彼は生粋の青使いで普通に構築戦では負けるのはほぼ見たことがないくらいでした。
彼の伝説としては後に行われる岡田さんが優勝の2001年のLoMの最終戦(だった気がする)で《選択/Opt(IN)》打って自分のライブラリー破壊して負けたり、さらに同じことをCCCでもやったらしくて凝りねーなぁ、って感じでした。
その時のLoMでベスト8残った手塚さんと坂本さんもたしかその頃知り合って、手塚さんはよくFBの大会で当たったりして、坂本さんは謎に家が近かったらしくてナカジマにちょくちょく来てました。
正直その当時は群馬のマジックは今井さんが中心だった気がします。
ホントに彼には勝ったのは数え切れるくらいだったし。
今まではFBくらいしか大会なかったんですけど、アドリビダムっていうサークルの大会があって、そこには60人オーバーの人数が集まるらしいって噂聞きました。
ちなみにそれを聞いたのはFBの大会の当日で、しかもアドリビの大会もモロ被りしてたので行きませんでした。
そのことを教えてくれたシンヤは白茶単でその日2位だったらしくてグッジョブ(*^ー゜)bでした。
シンヤも今井さんとかと同じコミュニティーでたびたび行くようになりました。
今ではもうデュエルスペースも撤去されちゃったらしいですけど、TOYっていう店です。
おれがこないだ実家帰って停電したゲーセンの隣りにあるゲーム屋の中にスペースがあって、そこで学校帰りにたびたび調整しに行きました。
そこにいたえーちゃんが去年の群馬チャンプです。
まだマジックやってたんだーと思ってうれしかったのを覚えてます。
そんでこの年の冬のFinals2000。
TOY勢で予選行きました。
デッキはFires。
当時このデッキでブンブンしてて、初めて出たアドリビの大会でも決勝で天敵のレベル潰して優勝するくらい引きが若かったです。
そして「勝ちたいんや!」がカラ回って死去。
その時に今井さんはちゃっかり青白で予選抜けてました。
メインの生物が《希望の化身/Avatar of Hope(PR)》のみのヘビーパーミッションでした。
これがかなりよくできてて今でも抜けたのはうなずけます。
たぶんデッキの中身は前に発売されてたFinals2000のデッキ集に載ってると思うので持ってる人は見てみてください。
丁度その時期はエクテンシーズンでおれはリプレ使ってました。
FBの大会でも使ってて今井さんが使ってたエターナルブルーにかなりせこい手を使われて負けました。
ちなみに今やったら即DQでしょう。
まあいい思い出ですわ( ゜д゜)、ペッ
ちなみに今井さんはエターナルブルーをFinals本戦に持ち込んで見事なくらい討ち死にしてました。
でも2日目のスタンはきっちり5−1してるあたりが強かったなぁ、と思います。
丁度その時期にgungと井上さんと出会います。
これが後々のマジック人生に大きく関わってくるとは思いもしなかったれっづでした。
〜つづく〜
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