玩具と井上さんと会ったのはFBでやってたぎゃざの何周年記念だかのエクテンの大会の時でした。
玩具たちは伊勢崎勢で、伊勢崎勢は主にタイプ1をやってたらしくてエクテンだしって訳でFB来たかどうかは定かじゃないですけどとにかく会いました。
ちなみに玩具は兄弟プレイヤーで兄の方は怪しげな雰囲気を持っててたまにドラフトとか一緒にするんですけど相当怪しいデッキを組むことで有名です。
おれがリプレ使ってるのに興味を示したらしく、井上さんが「デッキ見せてケロ」って言ってきたのが最初でした。
井上さんはその当時あんまし周りで使われてなかったネクロドネイト使っててちょっとだけすごいと思いました。
でも負けてたので微妙だなって思いました。
その後もPT東京のPTQに遠征行って遭遇したりして次第に仲よくなっていきました。
そん時に井上さんは赤スライ使っててあと1勝でプレイオフって時にプレイオフが次の日でみんな帰っちゃうからっていう理由でわざと負けやがりました。
手札に《ボールライトニング》2枚溜め込むプレイングで見事に負けて晴れてみんなと一緒に帰ってく井上さんを見てすごいんだかすごくないんだか微妙な気持ちになりました。
まあ当時はPTQって平気で2日がかりでやってたしね。
余談ですけど、その時のPTQで森雅也さんが最後勝った方がプレイオフって試合でお互い引き分けになりかけてました。
そこでおもむろに雅也さんが投了。
そのままあっさり去って行く姿がめっちゃかっこよかったのを覚えてます。
当時はトスとか全然聞いたことなかったのでなんて紳士なんだ!って感動しました。
〜高3〜
そんなこんなで玩具や井上さんらと交流を深めつつもTOYで調整に勤しむ日々が続きました。
高2の秋から新しい部活入ってたり、受験期だったりでいろいろ忙しかったりもしました。
そんな中、第1回目の高校生選手権が開かれるということでおれ、仁志、社長で出ようZE!って意気込んでました。
でも見事に日程が8月後半。
夏期講習とド被りで断念しました。
おれと仁志は行く気満々だったんですけど、社長はエリートコースな男なので講習を選びました。
社長は今頃K応の医学部で頑張ってるに違いない。
医者になったら肉おごってちょ(*^ー゜)b
でたぶんこの時期だと思うんですけど、今井さんがうちらのコミュニティーを揺るがす事件を起こします。
栃木のきんこん館にみんなで遠征しに行った時、今井さんは井口の家に泊まってきました。
そんで朝みんなで合流して栃木行ってあっさり今井さんが優勝してったんですけど、そこで事件が。
後日井口がオースドネイトのパーツがごっそりなくなってたって言ってきました。
被害は、
4《Tropical Island》
4《ドルイドの誓い/Oath of Druids(EX)》
4《Force of Will》
4《Ilusion of Grandure》
あと《変異種/Morphling(UZ)》とか色々です。
スペルは適当に書いたので突っ込まないでください。
当時はけっこうな額だったので井口はブチ切れ。
当たり前だけどねw
んでTOY勢とその件について話してみると、見事にそのパーツを
全てTOY勢の人たちに売却されてました。
今井さんはエクテンのカードとか全然持ってなかったのでおかしいと思ってたらしいです。
こんな足の着くとこでカード捌くとはやっぱりあの人はアホでした。
ちなみに今井さんには虚言癖が多々あって、母親は義理の母親で、そして義理の妹が3人いる。彼女にマジック辞めろって言われてて困ってると。そして家は金持ちだってさ(´・∀・`)
ホントに困ってたのは彼の頭の中でした。
TOY勢の中でもみんな信頼してた田中さんら年上の方々に頼んで井口が今井さんち乗り込んでみるとめっちゃぼろい家で母親がいただけで義理の妹3人とか予想通りいなかったらしいです。
あわれ、今井さん。
結局井口のパクられたカードはTOY勢のみんなの厚意で戻ってきました。
でも今井が売った金はどうなったか知りません。
みんなから取り立てられたのかなー(*´∇`*)
そしておれが高校卒業するこの年にTOY勢のみんなにカード貸してくれてた人が大学卒業して実家に帰らなくてはいけなくなり、いちおコミュニティーの中心だった今井さんの迫害によってTOY勢は解散をよぎなくされます。
おれがTOYに行かなくなってまもなくしてデュエルスペースは撤去されたらしいです。
ちなみにその後もたびたびTOYの隣りのゲーセンにはTOY勢のみんながゲームしに来てたので後日談を聞くと今井さんは年下のみんなからさえも迫害され、パシリにされたらしいです。
後輩から電話でジュース買って来て☆と命令されて必死に走ってくる今井さんを想像すると笑いが止まらない涙がこぼれそうです。
おそらくTOY勢でマジックやってたやつら、主におれの年下なんですけどシンヤ、ユウヤ、安達くんあたりは真面目に続けてたら相当強くなってたと思います。
今頃なにしてんだろ。
そんなこんなで浪人しましたw
〜浪人〜
浪人の最初の2,3ヶ月で免許取って行動範囲が広がったため大会とか玩具の家に行くのが楽になりました。
そういえばこの時期よりも前からですけど、桐生のマナソースの月例大会で稼ぎまくってました。
レギュレーションがなんとジャパクラで非公認。
それはそれでいいんですけど、参加費タダで優勝すると店で5000円分買い物できたんです。
そこでほぼ毎回入賞してっておいしくカードを購入してました。
だいたい入賞するのは伊勢崎勢かナカジマ勢だったので身内みんなウハウハでした。
そこの大会は変わってて、その大会で優勝したデッキから2位の人が1種類禁止カード選んでいくシステムだったんです。
1つのデッキがバカ勝ちするのを防ぐためだったのでしょうか。
ある日禁止カードを1から決めるってなってすべて白紙に戻りました。
ってことはMoMAだろうがメグリムジャーだろうがなんでもありです。
《象牙の塔》4枚ぶち込もうが、《精神錯乱》4枚ぶちこもうがおかまいなしな素敵なレギュレーションに早変わりw
で結局優勝したのはおれの変哲もないリプレで、第1回目の禁止カードはめでたく《補充/Replenish(UD)》となりました(´・∀・`)
その後おれが赤緑オースランデスで《ドルイドの誓い/Oath of Druids(EX)》が禁止になったり、ちっともMoMAが禁止されませんでした。
MoMA使ってる人はいたんですけど、あまりにパンピー過ぎておれが普通の赤茶単で戦った時にいい勝負になるくらいでした。
マジック難しいね!!
でその後もおいしく稼ぎ続けていいバイトになりました。
あんまし勉強してる気配がないですけど気のせいです。
そしてこの年、初めてGPに出ることになりました。
2001年GP横浜。
レギュレーションはIN・PSのチームリミテッドです。
〜続く〜
玩具たちは伊勢崎勢で、伊勢崎勢は主にタイプ1をやってたらしくてエクテンだしって訳でFB来たかどうかは定かじゃないですけどとにかく会いました。
ちなみに玩具は兄弟プレイヤーで兄の方は怪しげな雰囲気を持っててたまにドラフトとか一緒にするんですけど相当怪しいデッキを組むことで有名です。
おれがリプレ使ってるのに興味を示したらしく、井上さんが「デッキ見せてケロ」って言ってきたのが最初でした。
井上さんはその当時あんまし周りで使われてなかったネクロドネイト使っててちょっとだけすごいと思いました。
でも負けてたので微妙だなって思いました。
その後もPT東京のPTQに遠征行って遭遇したりして次第に仲よくなっていきました。
そん時に井上さんは赤スライ使っててあと1勝でプレイオフって時にプレイオフが次の日でみんな帰っちゃうからっていう理由でわざと負けやがりました。
手札に《ボールライトニング》2枚溜め込むプレイングで見事に負けて晴れてみんなと一緒に帰ってく井上さんを見てすごいんだかすごくないんだか微妙な気持ちになりました。
まあ当時はPTQって平気で2日がかりでやってたしね。
余談ですけど、その時のPTQで森雅也さんが最後勝った方がプレイオフって試合でお互い引き分けになりかけてました。
そこでおもむろに雅也さんが投了。
そのままあっさり去って行く姿がめっちゃかっこよかったのを覚えてます。
当時はトスとか全然聞いたことなかったのでなんて紳士なんだ!って感動しました。
〜高3〜
そんなこんなで玩具や井上さんらと交流を深めつつもTOYで調整に勤しむ日々が続きました。
高2の秋から新しい部活入ってたり、受験期だったりでいろいろ忙しかったりもしました。
そんな中、第1回目の高校生選手権が開かれるということでおれ、仁志、社長で出ようZE!って意気込んでました。
でも見事に日程が8月後半。
夏期講習とド被りで断念しました。
おれと仁志は行く気満々だったんですけど、社長はエリートコースな男なので講習を選びました。
社長は今頃K応の医学部で頑張ってるに違いない。
医者になったら肉おごってちょ(*^ー゜)b
でたぶんこの時期だと思うんですけど、今井さんがうちらのコミュニティーを揺るがす事件を起こします。
栃木のきんこん館にみんなで遠征しに行った時、今井さんは井口の家に泊まってきました。
そんで朝みんなで合流して栃木行ってあっさり今井さんが優勝してったんですけど、そこで事件が。
後日井口がオースドネイトのパーツがごっそりなくなってたって言ってきました。
被害は、
4《Tropical Island》
4《ドルイドの誓い/Oath of Druids(EX)》
4《Force of Will》
4《Ilusion of Grandure》
あと《変異種/Morphling(UZ)》とか色々です。
スペルは適当に書いたので突っ込まないでください。
当時はけっこうな額だったので井口はブチ切れ。
当たり前だけどねw
んでTOY勢とその件について話してみると、見事にそのパーツを
全てTOY勢の人たちに売却されてました。
今井さんはエクテンのカードとか全然持ってなかったのでおかしいと思ってたらしいです。
こんな足の着くとこでカード捌くとはやっぱりあの人はアホでした。
ちなみに今井さんには虚言癖が多々あって、母親は義理の母親で、そして義理の妹が3人いる。彼女にマジック辞めろって言われてて困ってると。そして家は金持ちだってさ(´・∀・`)
ホントに困ってたのは彼の頭の中でした。
TOY勢の中でもみんな信頼してた田中さんら年上の方々に頼んで井口が今井さんち乗り込んでみるとめっちゃぼろい家で母親がいただけで義理の妹3人とか予想通りいなかったらしいです。
あわれ、今井さん。
結局井口のパクられたカードはTOY勢のみんなの厚意で戻ってきました。
でも今井が売った金はどうなったか知りません。
みんなから取り立てられたのかなー(*´∇`*)
そしておれが高校卒業するこの年にTOY勢のみんなにカード貸してくれてた人が大学卒業して実家に帰らなくてはいけなくなり、いちおコミュニティーの中心だった今井さんの迫害によってTOY勢は解散をよぎなくされます。
おれがTOYに行かなくなってまもなくしてデュエルスペースは撤去されたらしいです。
ちなみにその後もたびたびTOYの隣りのゲーセンにはTOY勢のみんながゲームしに来てたので後日談を聞くと今井さんは年下のみんなからさえも迫害され、パシリにされたらしいです。
後輩から電話でジュース買って来て☆と命令されて必死に走ってくる今井さんを想像すると
おそらくTOY勢でマジックやってたやつら、主におれの年下なんですけどシンヤ、ユウヤ、安達くんあたりは真面目に続けてたら相当強くなってたと思います。
今頃なにしてんだろ。
そんなこんなで浪人しましたw
〜浪人〜
浪人の最初の2,3ヶ月で免許取って行動範囲が広がったため大会とか玩具の家に行くのが楽になりました。
そういえばこの時期よりも前からですけど、桐生のマナソースの月例大会で稼ぎまくってました。
レギュレーションがなんとジャパクラで非公認。
それはそれでいいんですけど、参加費タダで優勝すると店で5000円分買い物できたんです。
そこでほぼ毎回入賞してっておいしくカードを購入してました。
だいたい入賞するのは伊勢崎勢かナカジマ勢だったので身内みんなウハウハでした。
そこの大会は変わってて、その大会で優勝したデッキから2位の人が1種類禁止カード選んでいくシステムだったんです。
1つのデッキがバカ勝ちするのを防ぐためだったのでしょうか。
ある日禁止カードを1から決めるってなってすべて白紙に戻りました。
ってことはMoMAだろうがメグリムジャーだろうがなんでもありです。
《象牙の塔》4枚ぶち込もうが、《精神錯乱》4枚ぶちこもうがおかまいなしな素敵なレギュレーションに早変わりw
で結局優勝したのはおれの変哲もないリプレで、第1回目の禁止カードはめでたく《補充/Replenish(UD)》となりました(´・∀・`)
その後おれが赤緑オースランデスで《ドルイドの誓い/Oath of Druids(EX)》が禁止になったり、ちっともMoMAが禁止されませんでした。
MoMA使ってる人はいたんですけど、あまりにパンピー過ぎておれが普通の赤茶単で戦った時にいい勝負になるくらいでした。
マジック難しいね!!
でその後もおいしく稼ぎ続けていいバイトになりました。
あんまし勉強してる気配がないですけど気のせいです。
そしてこの年、初めてGPに出ることになりました。
2001年GP横浜。
レギュレーションはIN・PSのチームリミテッドです。
〜続く〜
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